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ARTIST | INTERVIEW-DANCE

HIPHOPカルチャーと熱い気持ちを伝えるダンサー・TOMO氏のダンス人生に迫る

C.C.C. FlyingBeatsオーナー、FLYING BEAT B-BOYZとして今も活躍する有名ダンサー。山形県内にとどまらず、全国のB-BOYに熱く支持され続けている。

HIPHOPカルチャーと熱い気持ちを伝えるダンサー・TOMO氏のダンス人生に迫る

By: 桃谷 | Dec. 20, 2012 | 8801 views

C.C.C. FlyingBeatsオーナー、TOMO君は何がキッカケで何歳からダンスやってるの?

13。モテたくて(笑)。当時ダンス甲子園とか流行ってて地元のお祭りでも脇でダンスやってる奴がいて、いいなーって。
まぁ最初は遊びで。それなりにやってたんだろうけど…遊びから始まるでしょ、何でも。

―最初からやりたいのはブレイクだった?

ニュージャックから入ってニュースクールのHIPHOPやって、ハウスやってロックやってポッピンして。オールドスクール的なものは全部やった。
ブレイクはアイバンっていうB-BOYの映像で衝撃受けて。何の要素でも取り入れてうまくブレイクに見せる。どう魅せるかっていうセンスで、何を取り入れてもいいジャンルでもあるから。

―山形ってセンスいいなって思う人多い?

うん。でもまだ知識が少なくてうまく取り入れられてない人が多いと思う。自分で掘り下げて考えることが必要。
今は新しいステップだけど、このオリジナルはどんなステップでどんな意味があるんだろう、とか分かってると全然違う。曲の意味を分かってるのも大事だし。

―先生を始めたキッカケは?

仲間に連れて行ってもらったROOMっていう美容室で当時ブラザー文化センターでジャズダンス講師をしてたマコちゃん(現MPFオーナー、鈴木先生)を紹介してもらって。

FLYING BEAT B-BOYZってメンバー何人くらいで、いつ組んだの?

山形来て3年目。地元に帰った人もいて数えると多すぎてよく分かんない。
機会がある毎に集まってくれるんだけど、それぞれ各地で続けてくれてるから昔からの仲間・家族みたいな。
俺もチームがあるから山形に残ったし。ここにあるホームは崩しちゃいけないと思ってて、いつでも帰って来れる場所にしたい。それが山形で続けてる一番の理由。

―頂上決戦を始めたキッカケは?

やんないと始まんないから。俺も一緒にやる人がいないとつまんないし。

―苦労したことはある?

何かあってもそれを苦労だとは思わない。好きでやってんだもん。

―今後の理想ってある?

逆に不安が多い。学校で必修にしたり更生のためにダンス習わせる親が増えたり。
キッズの踊りって『そういう表情とか動きができるんだ!』って大人がドキっとする面もあるんだけど、あくまでダンスはスポーツじゃなくて文化だっていうのは間違えないでほしい。良い悪いじゃなくて。

―技術・知識、あともうひとつ挙げるとしたら?三原則的に。

そんなの無いと思うよ。自由がすべて。ただ元を知れば必然的にいろんなことが生まれる。文化を自分で噛み砕いて新しいものを開拓していなかいと。最初は批判されようがそれをカッコ良く踊れるようになれば『すげぇな』ってなる。

―TOMO君にとってのダンスとは?

娯楽。体動かなくなるまではやってたい。

―より多くの人にダンスを見てもらいたい?

好きで興味ある人が見ればいい。文化って見て好きになるでしょ。
『楽しそうなことしてるな』って寄ってくる、その自然さでいいと思う。

―TOMO君は若い子にちゃんと礼儀を教えてて、シーンも伝える側と聞く側の体制がちゃんとマッチしてるよね。

それはやっぱPeaceでしょ。何にでも礼儀は必要。
B-BOYは『喧嘩するならダンスで競え』っていうところから生まれてるし。それでみんなが協力し合って続けてる人をリスペクトする気持ちを持ってくれてるのが嬉しい。それが無かったら今この文化は無いと思う。

―TOMO君が山形に来て17年の間でダンスシーンは大きく変わったよね?

かなり。でも今のダンスシーンがあるのは俺の力だけじゃない。色んな人が携わって広めようとしてくれてて、俺はその中の一人なだけ。継続は力なりって先人はうまいこと言ったもんだね。

―今日は良い話いっぱい聞けたな!じゃあ最後、読者にひとこと!

カルチャーを覚えるんじゃなくて理解してほしい。ダンサーでもDJでもラップでも、とりあえず気持ちを持って携わってカルチャーを知っていれば、それがHIPHOP。

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